2.1 自然界における人間の位置 −生物としてのヒト−

2.1.1 霊長類の進化と適応 −人類はどこから来たのか−

自然界において、ヒトは霊長類の一員として進化してきた。この節では、ヒトを生み出した系統群である霊長類(霊長目)について、その進化と生態、行動の特徴を紹介しよう。そして、我々ヒトが、霊長類から何を引き継いでいるか、逆に、ヒトは霊長類の中で、どういう点で固有の特徴をもつのかを説明する。

現在、地球上に生息する生物がどれくらいの種類いるのか、すなわち地球上の種数の総計については、確定的に言うことが難しい。分類学的に記載されている種数の合計は約175万種ほどであるとされるが、これらのほかにも、深海や熱帯雨林を中心に、未知の生物がどれだけいるかわからないからである。そのように多様な生物相の中で、ヒトは分類学上、動物界、脊索動物門、哺乳綱(こう)に属している。哺乳綱の動物は、一般に哺乳類と呼ばれ、メスが乳腺をもつ、ほとんどが胎生の恒温動物である。現生種としては約4500種がいるが、ヒトが属する霊長類は、そのうちの約200種を数える。

ヒトは霊長類の中でも、真猿類(真猿亜目)、ヒト上科(ヒトと類人猿のグループ)に属している。以前は、現生人類であるホモ・サピエンスが、ヒト科ヒト属の唯一の生物種だと考えられていたが、近年ではDNA解析に基づく系統学の進展により、ヒト科にチンパンジー属とゴリラ属とオランウータン属を含めるという見方が広まりつつある[1]

霊長類は約6500〜7000万年前に出現し、樹上生活者として多様な進化を遂げたが、現生の霊長類は、大きく原猿類(原猿亜目)と真猿類に分けることができる。

原猿類は、アジア、アフリカ両大陸にロリスやガラゴが棲むほか、キツネザルの仲間がマダガスカル島だけに生息している。マダガスカルのキツネザル類は、体重が数十グラムのコビトキツネザル類から、ゴリラほどの大型のキツネザルまで多種多様に適応放散したが、約2000年前に人類がマダガスカルへ進出した結果、多くの種が絶滅した。

真猿類は、大きく中南米に棲む新世界ザル(広鼻猿類)とアジア・アフリカに棲む旧世界ザルとヒト・類人猿(合わせて狭鼻猿類)に分けられる。新世界ザルには、中型の大きさのオマキザルの仲間と、体重1キロ以下の小さなマーモセットの仲間がいる。旧世界ザルの代表的なサルとしては、ニホンザルやアカゲザルなどのマカク属のサルと、アフリカに住む大型のヒヒ属のサルを挙げることができる。広鼻猿類と狭鼻猿類は約3500万年前に分岐し、その後、約2400万年前に旧世界ザルと類人猿が分かれ、さらに約1500万年前に小型類人猿のテナガザル類と大型類人猿が分かれた。大型類人猿(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)のうち、チンパンジー・ヒトグループが最後まで同じ系統に残ったが、両者の祖先が最終的に分岐したのは今から約500~600万年前だと考えられている。

現生霊長類(ヒトを除く)の生息地は、大まかにいえば、熱帯、亜熱帯(一部温帯)の砂漠地帯を除く地域に広く分布している。ただし、ニューギニア、オセアニア地域に霊長類は生息していない。この分布から、霊長類の生息環境は基本的に熱帯、亜熱帯の森であることがわかる。実際、現生の霊長類で、夜間も含めてほとんど樹木に依存せず、地上だけで生活する霊長類は、ヒトと少数のヒヒ類だけである。以下に述べるように、霊長類の身体的特徴の多くは樹上生活への適応として進化してきた。

 

2.1.2 霊長類の特徴 −ヒトの特徴の原型はどのように生まれたか−

【霊長類の足と手】

霊長類の足と手を、やはり樹上生活者であるリスのそれと比べてみよう。ここでは霊長類の代表として原猿類のガラゴを挙げたが、他のサルもほぼ同じ特徴をもっている。まず足についてみると、ガラゴは拇指(親指)が他の4本と向き合っており、物をはさんだり、つかんだりするのに適している。言うまでもなく樹上生活でひじょうに大切なことは、木から落ちないように枝をしっかりつかむことであり、霊長類の足はそのように適応している。他方、リスの足をみると、5本の足指はほぼ平行で向き合っておらず、爪がかぎ爪(イヌやネコなどと同じく尖った爪)である。リスは枝をつかむのではなく、しっかりと樹皮に爪をひっかけて体のバランスをとるのである。原始的な特徴を残す原猿類のガラゴでは、第2指(人指指)がかぎ爪であるが残りは平爪とよばれる尖らない爪である。ヒトを含めほとんどの霊長類の爪は平爪であり、さらに爪の反対側の指先には指紋と汗腺をもつという特徴を具えている。指先の指紋と汗腺は物体を滑らずにつかむのに適応した器官である。これらより、霊長類はリス類とは違って、かぎ爪だけでは体を支えきれない樹木の枝先や、蔓が絡み合う空間に適応して進化してきたと考えられる。

次に、霊長類の手についてみると、足ほどには拇指が他の4本と向き合っておらず、樹上性霊長類では、一般に手の把握力は足よりも弱い。しかし、手で、物(枝や果実など)を支えたり操作したりすることはでき、採食時やグルーミング時に用いられる。樹上生活よりも地上生活が長くなったマカクやヒヒ、そしてヒトでは、足よりもむしろ手の把握能力の相対的な重要性が増し、哺乳類の中で最も器用な手を有している。ヒトは手先の器用さを武器として、他の動物には類をみない多様な道具製作や手振り、指さしによる指示的コミュニケーションを行うが、そのルーツは霊長類の手と足の進化に求めることができる。

【霊長類の眼と視覚】

霊長類の眼と視覚システムには、他の哺乳類にはない二つの大きな特徴がある。その一つは、奥行き(立体)視であり、もう一つは色覚である。

図2 哺乳類の顔と眼 左から原猿類のガラゴ、リス、ネコ

図2は、原猿類のガラゴ、樹上性動物のリス、そしてネコの顔である。ガラゴの顔に示されるように、外見に表われる霊長類の眼の特徴は、比較的大きく、顔面の前方に位置していることである。両眼の距離が近づき、前方を向くことによって、側方や斜め後方が視野から外れるので、外敵を素早く察知する上では不利である(その点、リス、その他哺乳類全般は、霊長類より視野が広い)。しかし、両眼の視野が重なることによって奥行き知覚にとってひじょうに重要な、両眼視差と呼ばれる視覚的手がかりが利用できるようになる。霊長類では、脳内で視覚情報を処理する視覚野と呼ばれる領域も、ひじょうによく発達している。このように、霊長類は視覚に大きく依存した系統群であるが、他方、嗅覚については、他の一般の哺乳類よりも退化している。

霊長類の視覚(とくに奥行視)が発達している適応的な意義としては、長らく樹上生活上の有利さということが指摘されてきた。三次元空間を利用するときに、奥行感が具わっていないと転落の可能性が増すと考えられたのである。しかし、リスは一般の哺乳類と同じように両眼が離れた構造でも、樹上を素早く移動できる。他方、霊長類と同じように優れた奥行視ができる動物が他にもいる。それは、ネコやフクロウといった、暗所で獲物をじっくり定位してから襲いかかる捕食者である。霊長類は、現在の原猿類の多くと同様、夜行性で昆虫食という生態環境で進化してきた。現在では、ヒトを含め多くの霊長類は、昆虫を捕食するという生活をしていないが、霊長類の優れた視覚の起源は、夜の昆虫食者であった数千万年前まで遡ることができるだろう。

霊長類の視覚のもう一つの特徴の色覚(三色型色覚)は、すべての霊長類に共有されるのではなく、真猿類に限られている。イヌやウマなど、一般に、哺乳類の色覚は、二色型色覚と呼ばれ、緑や赤といった色みが検知できない。他方、爬虫類や鳥類の色覚は、一般哺乳類よりはるかに優れていて赤や緑、ときには紫外線を見分けられる。では、なぜ真猿類で色覚が進化したのかについては、さまざまな仮説があるが、その中でもっともよく知られるのが、熟れた果実や若葉を検知する上での適応という考え方である。イチゴ摘みを経験した読者であれば、我々がいかに色覚に依存した動物であるかがよくわかるであろう。果実と同様に、やや赤身をおびた若葉も栄養価に富み、タンニンやアルカロイドといった成分が少ない重要な栄養源であるので、その探索には色覚が役立つ。昼行性でかつ樹上性の動物である真猿類にとって、色覚を使って果実や栄養価の高い若葉を効率良く見つけ出すことは、それができない場合と比べて、生存率を大きく上昇させたにちがいない。

一方、ヒトでは、果実や若葉を検知できるかどうかは、とくに重要な適応上の問題とはいえない。他の哺乳類と比べて、ヒトにおいて二色型色覚の比率が高い(男性の5~10%)理由は、色覚の進化を促した淘汰圧がすでに作用していないことの表れとも考えられる。アートやファッションなどヒトの文化活動の多くはカラフルな色彩表現を抜きにして考えられないが、このルーツもまたわれわれが霊長類の一員として進化してきたことに求められるのである。

【霊長類の脳と社会性】

手足、眼と並んで、あるいはそれ以上に霊長類を特徴づける身体部位は脳である。一般に脳容量は、体重が大きい動物ほど大きい(ゾウの脳は、ネズミの脳よりも大きい)。体が大きいほど、神経支配も広範囲におよび中枢神経系も大きくなるからである。しかしこの体重の影響を取り除いて、系統群ごとに比較してみると、霊長類の脳容量は大きいことがわかる。すなわち、同じ体重で脳容量を比較すると、霊長類の脳が他の動物群よりも群を抜いて大きいことがわかる。たとえば、体重5 kgの魚類(例:大きめのカツオ)の脳容量はだいたい2~3 cc、霊長類以外の哺乳類(例:イエネコ)では約10~20 ccが標準的な大きさだが、霊長類(例:ニホンザルのメス)では約50 ccになる。脳内でさらに詳しくみると、霊長類では新皮質(脳の中で進化的に最も新しい部分)の発達が著しい。

では、霊長類の生態の中でどのような特徴が、大きな脳の進化を促したのだろうか。まず樹上生活を考えてみると、霊長類以外の樹上性哺乳類(リスやオポッサム)の脳がとくに大きいわけではないので、候補から外れる。つぎに社会生活(群れ生活)という特徴を考えてみると、イルカ、ゾウ、シマウマといった群れ生活をする社会性哺乳類の相対脳容量が大きいので、それは有力な要因である。しかし、ヌーのような大集団を作る動物の脳がとくに進化しているわけではないので、単に群れを形成するだけではなく、その中で起きる社会交渉の質が関係する。実際、霊長類、イルカ、ゾウ、シマウマなどの動物は個体どうしが相互に認識しあい、複雑な行動のネットワークを通じて社会生活を営んでいる。

真猿類では、社会的駆け引きがとくに発達している。たとえば、ヒヒの子どもが、目の前で採食している年長者を退かせたいときに、「うそ泣き」をして母親の関心を惹きつけ、母親にその年長者を追い払ってもらうといったエピソードが数多く報告されている。このようにある種の欺きを行うには、集団内の他者に関する個人的データベース(個体識別情報)だけでなく、社会関係のデータベース(集団内の順位関係や友好関係など)が具わっていなければならない。

脳の進化が社会的情報処理によって促されたこと(社会脳仮説とも呼ばれる)を支持する定量的な証拠が、新皮質の大きさと集団の大きさの間の相関関係である。脳全体に対して新皮質が占める比率(相対的な新皮質サイズ)と他の説明変数(例:果実食への依存比率や行動圏の広さなど)の相関を分析したところ、唯一、新皮質サイズと正の相関があったのが群れ(集団)の大きさ(成員数)だったのである。数頭しかいない群れと100頭の大きな群れを比べると、相互に個体識別する数が増加するだけでなく、記憶すべき二者間の順位関係や友好関係の組み合わせの数が格段に増加する。また、自分が他者の心の状態を読むということは、相手も自分の心を読む可能性があるわけで、心の読み合いは心理戦へと発展する。したがって、大集団での心理戦は、きわめて高度な認知的な能力を必要とする。野生動物が生存していく上では、「物理学的知性」(落下や衝突といった力学原理だけでなく、数に関する知識も含む)や「博物学的知性」(行動圏の環境、気象、外敵、食物などの知識)が必須だが、霊長類では、それらに加えて「心理学的知性」(同種の他個体の心的状態に関する知識)が一段と大きな役割を果たすようになったと言えよう。

ヒトはずば抜けて高度な知性をもつ生物であるが、知性はヒトにおいて突然進化したわけでなく、霊長類社会の中で育まれてきたのである。

【霊長類の一生(生活史)】

霊長類はひじょうに長寿の系統群である。寿命は、脳の大きさと同様に、体重が大きい生物ほど長くなる傾向があるが、体重の影響を除いた上でも、霊長類は長生きする哺乳類であり、とくに繁殖年齢に達するまでの時間がひじょうに長いことが特徴である。イエネコやイヌでは、1歳になると繁殖が可能になるが、ほぼ同じ体重のニホンザルでは、メスで4~5歳、オスでは6~8歳にならないと繁殖しない。この長い子ども・若者期の間、霊長類は社会の中でさまざまなことを学習する。系統群間の比較によれば、繁殖開始までの期間の長さは、その系統群の脳の大きさを予測するもっとも重要な変数である。学習期間が長いことは、大型類人猿(繁殖開始年齢は、野生では10代前半)で顕著であり、さらにヒトの場合、学習や教育に要する期間がきわめて長い。

ほとんどの霊長類は1回の出産で1頭の子どもしか産まない。この少数の子どもを手間ひまかけてじっくりと育て上げることが霊長類の養育システムの特徴である。霊長類が生息する森林環境では収容できる個体数が限られているので、草原性動物で見られる多産型の繁殖戦略は不利である。霊長類の養育はおもに母親が行い、少数の例外を除いて父親が積極的に子育てに参加することは少ない。ヒトはその例外種の一つであるが、父親だけでなく、他の血縁者(とくに母親の母、子にとっての祖母)や社会の他のメンバーが子どもの養育を担っている(生態学用語では共同繁殖という)。このことについては次節で、より詳しく説明する。

 

2.1.3 ヒト科の仲間、類人猿 −とくにチンパンジーの行動と社会について−

類人猿とヒトは、進化の系統樹の中で一つの枝を形成している。とくに大型類人猿(オランウータン、ゴリラ、ボノボを含むチンパンジー)は、近年の分子生物学的手法を用いた系統分類によってヒト科としてまとめられるようになってきた(図3)。

類人猿は、外見では尾をもたないことで他の霊長類と容易に見分けがつく。また、樹上を動くときにブラキエーションと呼ばれる枝にぶら下がりながら腕を振って進む移動様式が特徴的である。ブラキエーションを可能にするのは肩関節の柔らかさであり、それに伴い鎖骨が発達し、四足移動する他の霊長類と比べて上半身が平たい体つきをしている。またブラキエーションによって、前肢が長くなり体幹の中軸をなす脊柱が地上面に対して水平方向から上向きに上がるようになった。このことは、人類の最大の特徴である二足歩行を生み出す素地を提供している。実際、ほとんど地上に降りない小型類人猿のテナガザルを実験的に地上に下ろすと、四足歩行ではなくきれいな形で二足歩行する。人類の二足歩行は、一朝一夕に生じたのではなく、類人猿の時代の前適応を経て可能になったのである。

図3 ヒト科の系統

(チンパンジー、ボノボ、ヒト、ゴリラ、オランウータンは近年の分子系統学ではヒト科としてまとめられる)

ブラキエーションの生態学的有利さは、枝の下方や先端に実る果実や若葉を利用できることである。かつて森林が地球上を覆っていた第四紀には類人猿は大いに繁栄したが、その後の乾燥化により森林が後退したことによって、より地上性に適応し雑食性も強い旧世界ザルにとって代わられた。進化の時間軸でみれば衰退傾向にあった類人猿の中にあって、森に留まるのではなく、より乾燥した地域に進出し、二足歩行という新しい移動様式で地上生活に適応できた類人猿が、人類の祖先である。

現生の大型類人猿は、アジアに生息するオランウータンと、アフリカに暮らすゴリラおよびチンパンジーのグループであり、人類は後者のグループから約700万年前に枝分かれし進化した。大型類人猿は、それぞれ異なった社会組織を持ち、採食生態もかなり異なるが、いずれも他の霊長類より大型で、長寿命、そして大きな脳をもつという人類に通じる特徴を具えている。

とりわけ、人類と最後まで進化の歩みを共にしてきたチンパンジーは、さまざまな点でヒトとの共通点をもっている。「ヒトは○○をもつサルである」という言い方がしばしばなされ、かつては文化と道具と言語が○○の部分にあてはまる人間に固有の特徴だと考えられていた。しかし、野生チンパンジーの長期観察や飼育チンパンジーを対象とした心理学的実験の結果、これらの特徴の萌芽はチンパンジーにおいても認められることがわかってきた。

東アフリカのマハレ国立公園のチンパンジーは、オオアリという木の中に棲むアリを細い小枝や蔓を剥いだ皮を道具として使って釣り出す。この行動の習得には長い時間がかかり、子どもは5~6年かけてようやく一人前のアリ釣りができるようになる。マハレから150 kmほど離れたゴンベ国立公園では、同じオオアリが普通にいるのだが、道具を使ったオオアリ釣りが見られないだけでなく、そもそも食物として利用されない。一方、ゴンベのチンパンジーはどう猛なサスライアリの行列に長い枝を挿し込んで、噛みついたアリを食べる。しかしマハレのチンパンジーはこのアリを避けるだけで、食用にすることがない。アフリカ各地でのチンパンジー調査が進むにつれて、このような道具利用行動や採食行動だけでなく、挨拶行動、求愛行動など数多くの行動についても地域差が認められるようになった。道具利用行動では、年長者が手取り足取り教育することはみられないまでも、年少個体は年長者の行動を観察しながら行動を社会的に習得していく。したがって、チンパンジーに文化の萌芽がみられると言ってよいだろう。

実験室では、1950年代からチンパンジーにヒトの言語を発話させる試みがなされてきた。しかし、発声器官の解剖学的構造がヒトと異なるため、チンパンジーに言葉をしゃべらせることはできなかった。ついで、手話やキーボードを用いた訓練によって、チンパンジーに多くの単語を教える試みはある程度成功したが、チンパンジーに要求場面以外で文法構造をもつ文章を作成させることはできなかった。その後、京都大学霊長類研究所では、漢字に似た構造をもつ人工単語(9個の記号素を組み合わせて一つの単語が構成される)を用いた言語訓練が開始され、アイという名前の雌チンパンジーをはじめ、多くのチンパンジーがこの訓練システムで言語を習得した。チンパンジーは、このシステムを用いて、「赤」「鉛筆」「3」(3本の赤い鉛筆)のように物の属性を叙述することができた。また、物を見てそれに対応する単語を記号素を組み合わせてつづることにも成功した。ランダムな位置に提示された数字を短時間で記憶し、数字が消された場所を昇順で指し示すタスクでは、人間の大学院生と同程度かそれ以上の成績を収めた。米国で行われたボノボを対象にした話し言葉を理解させる研究では、ボノボはほぼ2歳児と同じ程度の能力を示し、「冷蔵庫の中の鍵を取りなさい」のように、新規で現実にはありえそうもない文章を理解できた。チンパンジーが2.5で説明されるような、ヒトと同等の言語能力をもたないことは自明であるが、言語の誕生のために必要な能力のいくつか-命名、カテゴリー化、視覚と聴覚の対応、要素の組み合わせ能力など-についてはその芽生えがはっきりと見て取れる。

チンパンジーは文化、道具、言語以外にも、三者関係における政治的な駆け引きや食物の戦略的分配、喧嘩やいさかいのあとの仲直り行動、集団間の殺し合い(戦争)、共同狩猟、雄どうしの強い絆など高次な知性に支えられた複雑な行動を垣間見せる。しかし、その一方で、ヒトにとってはいとも簡単にできる指さし行動やその理解、弱者や困った者に対する共感や思いやり、身体を用いた動作模倣、物作りのための共同作業、教育といったことを自発的にはめったにみせず、訓練してもほとんど習得しない。チンパンジーとヒトの間には基盤部分では通じるところも多いが、とくに社会性に関する認知能力において大きな溝があると言えるのである。

チンパンジーの社会は、顔見知りの集合であるコミュニティが存在するが、日常は三々五々離合集散しながら暮らしている。コミュニティに生まれた個体のうち、雄は生涯そこに留まるが、大半の雌は若者期に周囲のコミュニティへと移籍していく。コミュニティの雄どうしは、社会的順位をめぐる緊張関係もあるものの、共同で行動圏をパトロールし、隣接するコミュニティの雄たちと対抗する。雌雄間の配偶関係はきわめて乱婚的で特定の雌雄間の強い絆はあったとしても一時的なものである。したがって、生物学的父親は子育てに関与せず、母親が単独で約5年間にわたって子どもを育て上げる。前節で述べたように、ヒトは社会の中で助け合いながら子どもを養育するが、チンパンジーの母子は2頭だけでいる時間が他個体と一緒の場合よりもはるかに長い。人間性の重要な柱をなす協力的な共同体生活は、チンパンジーにおいては未熟な状態に留まっている。

 

2.1.4 人類の進化 −ホミニッドたちはどのようにしてヒトになったのか−

ヒトの進化を考えるにあたって、いくつかの用語を整理しておこう。

人類(ホミニッド):常習的に二足直立歩行する霊長類の仲間をさす。およそ600万~700万年前に出現し、その後いろいろなタイプのものが進化した。私たちヒトはその中の一種で、今に至るまで存在している唯一の種である。

ホモ属:人類の中でとくに脳容量が大きくなった種類をさす。およそ250万年前に出現した。これにもいくつかのタイプがあったが、現生人類以外は絶滅した。

現生人類(ホモ・サピエンス):私たち自身の種。15~20万年前にアフリカで出現した。

ヒト:人間を生物学的に表すときの和名。

人間:私たち自身をさす、生物学以外の意味も包含したより広い概念。

人類の系統と類人猿(チンパンジー)の系統とは、およそ600万から700万年前に分岐した(図3)。人類の系統は、アフリカ大陸に住み、直立二足歩行という移動様式を採用したのである。以下、初期人類、ホモ属、ホモ・サピエンスに分けて人類進化をたどってみよう。

【初期の人類(猿人)】

人類を他の類人猿から区別する特徴は、直立二足歩行という移動様式である。そのもっとも古い化石は、600万~400万年前ごろのアフリカから発掘されている、サヘラントロプス・チャデンシス、オロリン・チュゲネンシス、そして、アルディピテクス類である。

直立二足歩行するという特徴のほかに、これらの初期の猿人たちは、犬歯が小さくなっていた。現在の類人猿では、犬歯は他の切歯よりも突出して大きいが、初期人類の化石では、そのような大型の犬歯は見られない。これが何を意味するかはたいへん興味深い。なぜなら、犬歯の大きさは、その動物の配偶システムと配偶競争の在り方に関して、さまざまな情報を提供するからである。一般に、犬歯の大きさは繁殖機会をめぐる雄どうしの競争の強さと関係するが、初期人類では類人猿と比べて雄間の競争が弱まったことが推察される。

化石の出土場所の古環境は、古生物学の知見から復元できる。初期の猿人についてみると、森林とサバンナがモザイクになっている場所で、おもに森林に生息していたと考えられる。つまり、人類が直立二足歩行を始めたのは、森林の中であったようだ。以前は、サバンナに進出するに伴って直立二足歩行をするようになったと考えられてきたが、どうもそうではないらしい。森林に生息しながら、なぜ直立二足歩行になったのか、その進化的意味はまだ謎に包まれている。

これら初期人類の脳の大きさは現在の大型類人猿とほとんど変わらない。前述のように現在のチンパンジーもいろいろな道具を使うので、初期の猿人たちも何らかの道具を使っていたと考えられるが、石器など、後に残る道具の証拠はない。彼らは集団を作り、今の類人猿とあまり変わらない生活をしていたと考えられる。

次に出現するのが、アウストラロピテクス類である。370万年ほど前から出現し、250万年前ごろまで続いた。その中でもっとも有名なのは、「ルーシー」という愛称で知られる化石を含む、アウストラロピテクス・アファレンシスである。身長が1メートルほどしかなく、脳容量はおよそ400cc、石器などを使った証拠はない。彼らもほとんど現在の類人猿と同様な生活をしていたのだろう。しかし、ラエトリ(タンザニア)の遺跡では、彼らがしっかりと二足で歩いていた足跡が残されている。

【ホモ属の進化】

300万年ほど前から、猿人がいくつかの種に分化を始めた。アウストラロピテクス・アフリカヌス、パラントロプス・ロブストス、パラントロプス・ボンゼイなどがその仲間である。この時期にそのような分化が起こった背景には、地球規模での寒冷化、アフリカ地域での乾燥化という環境の変化がある。森林がどんどん後退していく中、類人猿が森林に固執したのに対し、人類はサバンナに進出していった。サバンナで硬い木の実などの植物を食べ、そのように咀嚼器官が特殊化していったものもある。臼歯が非常に大きく、顔面骨も大きいボンゼイはその代表である。

その中で、250万年前ごろ、脳容量が大きく、顔の部分が相対的に小さくなった種が出現した。これが最初のホモ属である。猿人の仲間の脳容量は、およそ400ccから500ccにとどまっており、現在の類人猿とあまり変わりはない。しかし、新しく出現したホモ属の最初のものであるホモ・ハビリスの脳容量は、600 ccから700 ccになっていた。

ハビリスの遺跡からは、石を打ち欠いて作ったと思われる打製石器が出土する。これらはオルドワン型石器と呼ばれ、決まった様式はないが、確かにヒトが手を加えて加工したもので、獲物の皮を剥ぐなどのいろいろな目的に使われていた。

およそ180万年前からは、ホモ・エレクトスと呼ばれる種類が出現する。そのさきがけの代表的なものが、トゥルカナ・ボーイという愛称で呼ばれている化石である。これは、東アフリカ、ケニアのトゥルカナ湖のほとりで発見された少年の全身骨格で、完全に成熟すれば身長は180センチメートルを超えただろうと思われ、そのプロポーションは現代人とほとんど変わらない。脳容量はハビリスよりもさらに大きく、およそ800~1000 ccである。それ以前の猿人に比べて体が大きくなり、下肢が長く、サバンナでの遠距離の二足歩行に適応したことがわかる。

このあと、これまでアフリカ大陸の内部だけにとどまっていた人類が、初めて他の地域へと拡散する。旧約聖書の記述とかけて「出アフリカ」と呼ばれている現象である。およそ180万年前から始まった移動はゆっくりとしており、長い年月をかけて、ヨーロッパ、東南アジア、中央アジア、中国北部まで進出した。しかし、こうして拡散した集団は、それぞれの出先で最終的には絶滅したと考えられ、現在、それらの地方に住んでいる人類と、このとき広がったホモ・エレクトスと直接のつながりはない。

エレクトスが使っていた石器は、アシュレアン型握斧と呼ばれるもので、左右対称の固有の形態をしている。ある種の「様式」と見られるものが確立した石器が各地から同様に出土するのは、これが初めてである。

ホモ・サピエンスでは、猿人時代に比べて雌雄間(男女間)の体サイズの性差が縮小している。このことは雌雄の絆が強まり、家族生活が始まったことを示唆している。直立二足歩行の完成は、産道の屈曲を伴い、女性の難産化をもたらす。大きな脳の赤ん坊を出産することは女性にとって大きなリスクとなるので、霊長類の標準からすればきわめて未熟な状態で女性は出産するようになった。未熟で手のかかる子どもの養育は、母親だけでは著しく困難だったため、サピエンスの時代に家族生活が始まったものと考えられる。

【ホモ・サピエンスの進化】

さて、ホモ・エレクトスの時代は100万年以上続くが、およそ50万年前から、さらに脳が大きくて現代人に近い化石が出現し始める、ホモ・サピエンスのさきがけであるが、完全に現代人とは言い難い。それらを総称して古代型サピエンスと呼ぶ。ヨーロッパのハイデルベルグ近郊で発見された、ホモ・ハイデルベンゲシスと呼ばれる化石は、その代表の一つとされている。脳容量がさらに大きくなるとともに、顔面骨が小さくなり、いろいろな石器を使用していたことが明らかである。

ここに含まれる有名な化石には、ネアンデルタール人のものがある。ネアンデルタール人は、他の古代型の化石と同様に、眼窩上隆起が大きく、後頭部が屈曲し、体が全体に頑丈で、サピエンスとは異なる。彼らと私たちサピエンスとの関係がなんであったのかについては長らく議論が続いてきたが、DNAの解析結果によると、私たちとは遺伝的交流のない別系統の人類であったようだ。彼らは、ヨーロッパの寒冷化とともに絶滅した。

遺伝学的解析によると、ホモ・サピエンスの祖先は、15万~20万年前のアフリカに遡る。つまり、旧大陸に広がったホモ・エレクトスは絶滅し、再びアフリカからサピエンスが世界中に拡散した。したがって、サピエンスのもととなった集団は、アフリカで進化したことになる。その最初のものと思われるのが、エチオピアのヘルトで発見された16万年前の化石である。ヘルト人は、まだ眼窩上隆起が大きく、後頭部の屈曲も見られるなど、古代型の性質を具えているものの、頭蓋冠が現代人のように高く、よりわれわれに近い形質も具えている。

こうしてアフリカ大陸でホモ・サピエンスのもととなった集団が出現し、およそ5万年前から全世界への拡散が始まった。二度目の「出アフリカ」である。このころは、地球の気候が大幅に変動する激動の時期であるが、サピエンスは、今度は南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸も含めた全世界へ広がった。しかもその速度は非常に速く、エレクトスの時代に数十万年もかけて移動したところを、数万年以内でカバーしたのである。変動する気候の中、われわれの祖先は、地理的にも、熱帯から寒帯までの異なる環境へとひじょうな速度で拡散したのであった。

 

[1] たとえば、環境省のレッドデータブックでは、絶滅危惧種であるオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボは、いずれも「ヒト科」に属すると明記されている。