2.3 心の諸相-心の探究とその成果-

2.3.1 心の科学とは -心理の探究-

「心理学の過去は長いが、その歴史は短い」というエビングハウスの言葉がある。遺跡で発見された絵や未開社会に残る儀式から、人類が未開時代すでに心の存在や様相に強い関心を抱いていたことが窺える。しかし、心が科学の対象になったのは19世紀半ば、それまで哲学や生理学が扱ってきた意識の問題を扱う学問分野を求める気運が高まった結果である。

草創期に主流だったのは、複雑な意識が、感覚・感情の基本的な心的要素で構成されているという見方(要素観)である。ここには、あらゆる物質を元素の化合としてとらえる、当時の物質観の影響を見て取ることができよう。心を解き明かすには、自身の意識経験を内観法(自己観察)によって分析し、そこで得られる心的要素を再構成するという手続きが提唱された。しかしながら、このような草創期の心理学に対しては、本人しか知りえない私的体験は公共的客観性をもたないとする批判、意識は要素から構成的に導き出されるものではなくて全体としてのまとまりをもつのだとする見解、測定可能な行動だけを対象にすべきだという主張などが相次ぎ、19世紀末から20世紀初頭にかけて、心理学がサイエンスとなるための激しい論争があった。

人は誰もが、私的体験として自分自身の「心」を感じている。そのため、心理が解っていると思い込みがちであり、科学的な裏づけのない常識にもとづき誤った解釈に陥りやすい。心理学において科学性が特に強調されるのは、そのような似非科学に陥りやすい事情があるからなのである。

心は直接とらえられない存在(ブラック・ボックス)であるから、言語や行動などの顕在的反応を手がかりにしてその姿を論理的に導き出すほかない。その場合、刺激(入力)に対する反応(出力)を観測して入出力関係を把握したり複数の反応の相関を分析したりする必要があり、そのためにさまざまな実験法、測定法、統計法が開発されてきた。

私たちは、人間の一般的な心理に関心をもつ一方で、家族や友人など身近な人たちの心理を知りたいとも思う。前者の要請に応えるのが基礎心理学(psychonomic science)、後者に応えるのが人格心理学・臨床心理学であるが、両者の関連は、点描

派の画家の作品を喩えにすると理解しやすいであろう。細かな点の集まりで人物や景色を表現したその絵は、離れた位置では全体の形や質感が表現されて見えるが、近づくと絵を構成する点の集まりが意識される。これと同じで、人間をロング・ショットでみると心理の一般性・法則性がとらえやすく、逆にズーム・アップすると個人の特性がとらえやすくなる。すなわち、対象との位置取りを変えることによって、人間の異なる心理的世界が明らかになるというわけである。

では、心理はどういうステップを踏んで解き明かされるのであろうか。なによりもまず、思い込みや常識を排除し、あらためて公共性をもつ一定の手続きに従って現象の特性を精確に記述することが第一歩である。その上で、現象の成り立ち(発生、genesis)や仕組み(機構、mechanism)を探り、個々の現象について妥当な説明を導き出す。そして最終的には、個々の心理現象が系統発生や個体発生の過程で変化しながら現在まで存続していることの意味(機能、function)を明らかにする。この手順を踏んでこそ心の正しい理解が得られるのであり、この一連の探究のどの段階においても乏しい根拠にもとづく安易な解釈や常識のもたらす弊害を極力排除しなければならない(図4)。

図4 心理を解き明かす手順

ところで、心は脳のはたらきの反映として生じる。だから、両者の関係にはとりわけ強い関心が注がれてきた。その場合、脳という物質(実体)を対象とする生理学などの神経科学に対し、上にも述べたように心は実体として捉えられないため、心理科

学ではそれを「論理的構成体」(logical construct)として扱っている。そして、二つの科学は、それぞれのアプローチの特徴を認識しながら相互に影響しあって発展してきた。中でも、心理現象の仕組み(メカニズム)を明らかにするには、心理活動と脳活動を対応づけるという方略(心-脳相関の解明)が有効であり、両分野の連携によってもたらされる成果に期待が寄せられる。

 

2.3.2 心はどんな姿をしているか -心の諸相-

心はあまりに複雑で、容易にはその全容がみえない。そこで心理学は、心理過程の基本となるいくつかの事象を解明するという方略をとる。

【意識と行動】環境への適応にあたって、環境を知る働き(知覚)と気分状態を感じる働き(感情)が基本である。感情に駆り立てられた人間は、知覚という羅針盤によって導かれ、事物を操作したり環境を探索したりするなどの対処(行動)を試みる。人間は優れた学習能力を具えているから、経験の蓄積(学習・記憶)によって意識が行動をより適切なものに変化させることができる。もちろん、その場合、性格・知能などの特性が働くので、実際の行動には個人による違いが生じる。

このように知覚-感情-行動を基本とし、そこに学習や記憶が作用するというのが人間の基本的心理過程であり、主として実験的方法にもとづいてその過程が解明されてきた。

【知覚】人間は、周囲の環境情報のすべてをあるがままに感受しているわけではない。感覚器官や神経系にそれぞれ特性があるから、可視光や可聴音のように、感覚を惹き起こすのはその限られた範囲にすぎない。それだけでなく、環境への能動的な対処にあたって、過去経験や欲求などの主体的要因が作用する。曖昧な事物を見慣れたものと誤って知覚したり、空腹時の食物のように欲求を充たす対象を鋭敏に見つけ出したりするのはその例である。そういうわけで、個人に知覚される世界は外部の物理的世界の単なる写しとならない。

物の大きさや形がモノサシどおりに見えないのは主として生理的条件に規定されて一般に起きる現象であり、他方、薄暗がりで人違いをするなどの現象は個人の主体的要因の影響が強く働いて起きると考えられる。これらはいずれも「知覚的錯誤」と呼ばれるが、修正可能な「誤り」ではなく、適応に役立つ方向に進化してきた基本的な心理過程だと言えよう。

【学習】経験に学ぶという点で、人間は比類のない可塑性をもっている。系統発生において脳が複雑になるにつれ、ヒトは「本能」という融通の利かない適応様式に替わって高い学習能力を獲得し、柔軟に対処できるようになった。箸を使うとかボールを投げるという動作のように、類似した経験を繰り返すことによって次第に技能水準を高め、その技能を自動化・習慣化(条件づけ)する一方、過去に経験したことのない課題に対してもヒラメキ(洞察)による解決の能力を具えている。人間は、実体験にとどまらず、それを知性化する能力においてきわめて優れた存在だと言える。

経験は記憶としても蓄積され、後に意識化されて行動の選択・判断に関与することが多い。その場合、個々の記憶がそのままの形で貯蔵されることは稀で、ふつう相互に干渉しあって記憶の変容を起こすが、記憶過程における経験の干渉や融合が独創的思考を生み、経験を超える新たな知的世界を切り拓く力となりうるという点で、そのこともまた適応にプラスしている。また、高齢になると新たな記憶が定着しづらくなり古い記憶がそれだけ想起しやすくなるが、これも死の不安から自らを解き放つという点で個人の心理的安定を支えているとみることもできよう。

【感情】感情には、喚起と表出の二つの面がある。脳の進化に照らしても、感情のはたらきは系統発生の早い段階からすでに衝動(生物的エネルギー)として存在し、それが生得的プログラムに従って水路づけられて本能行動として発現するという仕組みが存在する。本能が減退したとはいえ、ヒトの場合も、欲求と動機づけの両面で本来の衝動から全面的に解放されたわけではない。

生理的平衡状態(ホメオステイシス;homeostasis)が崩れた場合、飢えや渇きの不快感が意識に上り、欲求が高まって摂食や飲水の行動が喚起されて欲求が充足されると、体内環境が元の平衡状態に回復して欲求が解消する。その場合、飢えや渇きなどの生理的欲求の場合、欲求の発生から充足の過程が繰り返し起きる(再帰的過程)のに対し、地位の向上や他者の承認を得たいというような社会的欲求の場合は、ある水準の欲求が充足されるといっそう高い水準の欲求が喚起され、欲求のエスカレーションが生涯を通じて続くことが多い。また、快適性への欲求は、技術推進の原動力となり、技術の成果がまた新たな欲求を生み出すことになる。

個体発生を通じて、感情は、快-不快という単純な状態から、喜び、悲しみ、驚き、恐れ、怒り、嫌悪などへと分化するが、分化した感情はそれぞれ特定の生理的状態に対応して典型的な表情を生み出す。過去には一時期、感情の種類やその表出に民族や文化による違いがあると考えられたが、現在では表情やその読み取りが人類に共通のものだとする見方が強い。

現実に起きる感情は、驚きと恐れというように、いくつかの感情が複合したものである場合が多い。したがって、その表出(表情や動作)の読み取りが困難なこともしばしばあるが、他者の表情や動作は個人間の相互作用にあたって他者理解の重要な手がかりとなっている。

【個性】意識や行動には、気質、生活歴、体調などいくつもの条件が影響するから、同じ状況におかれた人たちが同じ行動を示すとは限らない。個人差をもたらす要因のうち、ある程度持続的な特性がパーソナリティ(人格)であり、それには性格と知能の両側面が含まれる。パーソナリティは遺伝的素因と社会的学習の相互作用を通じて形成される。

個性には誰もが関心をもち、自分や他者のパーソナリティを自己流に評価している。しかし、自身の眼でみた個人特徴は周囲の他者がそれと認めているそれと必ずしも一致しないので、両者の認知のずれが人間関係において妨げとなることも少なくない。そこで人間は、相手とのコミュニケーションを通じて、相手に映っている自分を探るためのスキルを高めようと努める。

個性を査定する場合、それぞれの個人を特定の母集団に位置づけて評価するという方法が用いられる。そのためにいくつかの検査が考案されてきたが、最近では脳活動の計測法や遺伝子解析法を援用して個性を把握する試みもみられるようになった。

【心理学的人間像】20世紀に心理学はさまざまな領域(下位分野)に分化し、扱う問題を限定してその解明をめざしてきた。以上に紹介した基本的心理過程は、人間の心を細分化して分析することによって得られた成果であった。しかし、あらためて言うまでもなく、現実の人間は知覚は知覚、感情は感情というように断片化した意識体験をもつわけではないし、またパーソナリティがさまざまな精神活動に影響することも事実である。だから、細分化によって得られた知見を統合し、トータルな心理学的人間像を構築するという重要な課題が残されていることを忘れてはならない。

 

2.3.3 心はどう生まれ変化するか -心の発生-

ヒトを特徴づけて「本能が減退した動物」だと言うことがある。昆虫・魚・鳥などの適応がそれぞれの生得的プログラムにもとづいて展開する本能的行動により達成されるのに比べ、ヒトにはそのような保障がないから、本能に代わる適応様式を獲得しなければならなかった。それが高度に発達した学習・思考能力であり、それと密接に関わる言語能力である。

とはいえ、ヒトは、系統発生(種の歴史)から解き放たれてはいない。特定の衝動が定型的反応によって解放されるという本能行動型のプログラムは失われたものの、衝動それ自体が減退してしまったわけではない。衝動が可塑性を増し、あるいは衝動によって喚起される行動が多様化したのである。

生物として最も根源的だとされる性の衝動について考えてみよう。ヒト以外のほとんどの動物では、繁殖期に種固有の行動によって生殖が行われて種の維持が保障されるが、それに対し、繁殖期をもたないヒトの場合、性衝動がすべて定型的な生殖行動を喚起したとすると、結果的に過剰な生殖の結果、種の存続を危うくしかねない。そのような危機への対処として、性衝動の解放を婚姻制度や社会組織によって制限してきた。さらに、極端な場合、性衝動を別の非身体的な欲求に転化して生殖と切り離すという方略までもが選択されうる。

このようにヒトは、個としても種としても生得的なプログラムに支えられた適応保障が稀薄な分だけ、学習や思考の高い能力によって対処しなければならない存在である。次節(2.4 心の発達と人間の個性)でも触れるように、高度に進化した脳がその能力を支えている。ヒトを特徴づける「生理的早産」は感覚能力が成熟、運動能力が未成熟というアンバランスの状態で誕生する事実をさすが、そのため誕生当初から、特定の運動に束縛されない感覚によって周囲の環境を探り、そこで起きる出来事について知る機会をもつことになる。こうして、感覚と行動との結びつきが緩やかになったからこそ、人間は、行動と直結しない、豊かな意識の世界(認知)を形成できるようになったと考えられる。そして、それこそが「ヒトを人間にする」上の貴重な経験となっていると言えるかもしれない。

幼児期の人間は、五感を動員した活動(遊び)によって感動を味わうとともにさまざまな「経験知」を獲得する。そして、年齢とともに、この経験知が知性化(概念化・論理化)されて「学知」へと高められ、さらに活発な精神活動が展開する。学知の獲得には実体験のように〈生〉の感動が伴うことはないが、人間の本来的心性ともいうべき好奇欲求が充たされ、世界を他者と共有する喜びを味わうことができる。

「心の理論」は、プレマックとウッドラフが提唱した概念であり、他者の心を類推したり、他者が自分と異なる信念をもつことを理解したりすることをさす。人間では、18か月で「ふり」をすることが、4歳までに「だます」ことができるようになるとされるが、このような能力はヒトだけにみられるのではなく、比較心理学的研究によれば、その原型がヒト以前の動物に認められる。また、この能力は脳の広範なネットワークに支えられていると同時に、特定部位の関与が大きいことも指摘されている。いずれにせよ、このように他者を自分の心的世界に位置づけることにより、複雑な人間関係や社会的行動が可能になる。

 

2.3.4 心はどんなからくりで現われてくるか -心のメカニズム-

心理学の誕生以来、心をブラック・ボックス上で、それをどういう形で表現するかという課題、つまり心理現象に底在するメカニズムの探究をめざして、さまざまな取り組みが続けられてきた。

その主流は、心理現象を神経系や内分泌系の生理的事象として説明しようとする還元主義に立つ研究である。このアプローチは、前世紀から今世紀にかけて進展した、脳に処置を施さずにそのはたらきをとらえる技術(非侵襲的脳機能イメージング)に負うところが大きい。それは、脳内各部位の生理活性を種々の方法で計測し、それを画像化して出力する技術のことであり、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)、ポジトロン断層法(PET)、近赤外線分光法(NIRS)などの脳血流動態をとらえる技法、脳伝図(EEG)、脳磁図(MEG)のように神経細胞電気活動を可視化する技法などが開発された。これによって脳機能研究や脳疾患診断技術が進展するとともに、知覚、思考、感情などの心理現象に対応する脳の活動部位がしだいに明らかになってきた。

むろん、現象を説明する方法は生理的事象との対応をとらえることだけではない。ブラック・ボックスを入力から出力へと情報が変換・伝達される過程とみなす計算論的立場、論理的構成体として心理学的概念モデルを構築する立場からも心のメカニズムを探る努力が続けられている。それらの異なるアプローチによって得られる成果を総合して、はじめて心理現象のメカニズムが明らかになるものと期待される。

 

2.3.5 心はどんな意味をもつか -心の適応的意義-

心の科学には、先にも述べたように、心理現象の由来を明らかにし、その適応的意義を明らかにするという課題がある。もっとも、心理学に限った課題ではなく、生物科学や人間科学の広範な分野で、現象の意味が問題にされてきた。人間は系統発生(進化)、個体発生(発達)、経験(学習)の三つの過程に規定される存在であるから、心理現象についてもそれぞれの時間的スケールで適応的意義をとらえることができる。

いま、忘却を例に考えてみると、それは過去の経験が失われることではなく、以前の経験を意識化するはたらきがその後の経験によって抑えられるという現象である。それは、生活史の中でつねに新たな経験を活かして適応していく上に欠かせない、心のはたらきであると言える。また、あらかじめ経験したことが後の学習を促進したり妨害したりする現象(学習の転移)にしても、限られた経験を効果的に活かすはたらきをしている。

このように、多様な心理現象一つ一つに、個として生きる上だけでなく、種の存続を可能にする上でも重要な「意味」が隠されている。そして、それを明らかにすることは、心理的存在としての人間が自らを冷静に見据え、人類の確かな将来を築く上に必要な作業なのである。

 

2.3.6 心を知ることはどう役立つか -心の科学の貢献-

【社会的貢献】

繰り返し述べてきたように、ヒトは生得的プログラムによって保障された生き方(本能)を失った代わりに、環境の変化に対して柔軟に対処するという生き方(知性)を獲得した。この知性が技術を生み、それを高度化してきた。梃子や滑車を使って自力では持ち運べない物を操る技術(運動機能の拡張)や、光学系によって肉眼でとらえられない世界を感知する技術(感覚機能の拡張)が人類史を通じて高度化する一方、20世紀の技術は、コンピュータの開発によって人間の精神活動の制約を補う(心理機能の拡張)方向に進んだ。

とりわけ、伝送技術の発展に支えられた20世紀後半の情報社会化は、人類史に前例のない環境改変であり、それが人間の心のありよう(心性)の変化を促すという点で衝撃的であった。なによりも接触する情報が飛躍的に増え、実体験の世界を超える時間的・空間的世界を体験できるようになった。人間は、視覚や聴覚に優れているから、こうして夥しい量の圧縮された情報が与えられてもそれをうまく処理して認識することができる。それをいいことに、情報の送り手は、限られた時間・空間にますます多くの情報を詰め込むようになり、現代社会では情報が奔流となって人間に迫っている。ところが、人間の感情のほうは、このような状況に対応できない。情報に対して知覚が敏速に応答できても、感情のふるまいは緩やかであり、情報の一つ一つに対応した感情が起きるにはそれ以上の時間を要する。それにもかかわらず、感情の特性を無視して情報化が進んだ結果、本来は同時に体験されるはずの知覚と感情が分断され、知覚が鋭敏化すればするほど逆に感情が鈍るという状態を招いている。

さらに、情報化社会になって代理体験が実体験よりも優位になったことも、その傾向に拍車をかけている。たとえば、幼児が実物の昆虫に出会う場合、その色・形(視覚)や羽音(聴覚)のほかに、ふつう感触(触覚)や臭い(嗅覚)なども同時に体験するのだが、映像として送られてくる昆虫はもっぱら視覚的で、他の感覚、とりわけ触覚や嗅覚のように感情を喚起しやすい感覚の側面(モダリティ)が作用する機会が剥奪されている。この点でも、情報化は、人間を脱感情的状態にしがちであり、感情を豊かに育てる環境づくりと相反する危険性をはらむ。そのことを考えるにつけ、伝統的な生活文化で大切にされてきた「間(ま)」や、遊びを通じて繰り返された実体験の意義があらためて評価される。

技術発展とともに進んだ人工環境は、人間を自然の淘汰圧から解放してきたが、その反面、自身が創り出した環境に適応するという新たな課題を生み出した(図5)。上にみたように、この課題に対処する過程で人間の心性が変化していくからである。しかし、社会はそれを必ずしも敏感に察知していない。心性の変化に気づきにくいのは、技術のもたらす「快」に眼を奪われやすいことのほかに、人間自身が同じ変化の流れに乗っているからなのであろう。その意味で、いまこそ人間科学、社会科学の素養が広く共有されなければならない。

図5 技術進展への対処としての心理的変化

【学術的貢献】

心理学は、19世紀に誕生して以来、もっぱら科学性を追求し、知見を蓄積してきた。心の問題は私的体験のみにもとづき似非科学的に扱われやすいから、他の自然科学分野以上に科学であることに留意する必要があってのことである。草創期(19世紀後半から20世紀初頭)は大理論(グランド・セオリイ、広範な心理事象をすべて包括する理論)をめざして、立場を異にする学派間に激しい論争が行われたが、その後は、実験心理学、社会心理学、発達心理学など、いくつかの領域に分化していった。それとともに領域相互の交流が稀薄になり、しだいに分野としてのまとまりを欠くようにもなった。

その一方、伝統的な分野に収まりきれない課題に直面して、20世紀半ばには分野間・領域間の連携によってその解決を図る気運が高まった。心理学の場合、分野の境界が曖昧になる一方、社会科学諸分野の集合体(行動科学)や生物科学諸分野の集合体(生命科学、神経科学)に参画して、行動科学において心理学は理論的基盤を担い、生命科学・神経科学の中では実験や測定の方法と知見を提供するなどの学際的貢献を行ってきた。

技術界に対する心理学の関わりとなると、我が国ではその立ち遅れが否めない。機械の設計にあたって人間の心理的特性を考慮する必要性から人間工学が導入されたのは1960年代であるが、我が国の技術水準に照らせばそのような視点から心理学の貢献すべき余地はなお大きい。他方、20世紀末には、家庭内暴力や不登校などの現実的問題の解決が臨床心理学に期待された。しかし、複合要因によって生じる、その種の問題に単一学問分野、ましてやその一領域で対応して成功するはずはない。心理技術の立ち遅れは、日本の心理学の発展過程に起因すると同時に、我が国の高等教育における文系・理系の分断がもたらした弊害でもある。

とかく物づくりだけが技術だと思われがちだが、造られた物や物づくりという行為それ自体を適正に評価することも、それに劣らず重要な技術の要素である。もっぱら経済効果や利便性・快適性を基準として技術が方向づけられてきた状況を転換し、人間科学・社会科学の視座から長期展望に立った評価を行う体制を確立することが急務である。