3.3 異文化を知る:文化と民族の概念

21世紀になり、国内外で文化・民族を異にする人々に出会う機会がますます増大している。異文化とつきあうことはごく普通の体験となってきた。そのために、文化と民族の概念について知ることはごく一般的なリテラシーとして重要である。

 

3.3.1 文化とは何か

人類は今日の世界で最も広い生息域をもつ動物である。世界中の多様な生態系に適応して生きることができるようになったのは、人類が、道具の製作および使用を行うようになり、衣食住を基本とする多様な文化を発展させたためであると考えられている。生態系に合った食料獲得の方法や調理法を編み出し、衣類や住居でもって身体を保護してきたのである。こうして、地球の隅々に至るまで人類が生息するようになった。

そうした多様性をもち、学習により後天的に獲得された生活様式が第一義的に文化と呼ばれるものである。しかし通常、文化という言葉で理解しているものは、そうした有形のものばかりではなく、言語、社会構造、コスモロジーや宗教、思考様式や行動様式なども含めたものとして想定されている。従来、文化は人類の特権であり、人類を他の動物から区別するものと考えられていたが、近年ではチンパンジーやゴリラなど他の霊長類の一部も、象徴的なコミュニケーション能力、社会、道具などの文化をもつことがわかってきている。しかし、チンパンジーやゴリラの文化は人間のそれに比べれば萌芽的な存在で、未だに環境条件を克服するための人類文化ほどには発達していない。以上の理由で、本節では人類の文化に限って考えてみる。

アメリカの人類学者ルース・ベネディクトは、ゲシュタルト心理学の概念を援用して、文化を総体的なものとして理解することを提唱した。文化の一部をなす言語、宗教、神話、慣習、社会組織などは、一つの社会の中で相互に関係しあい、有機的総合体をなす、そしてそれが文化であるという考え方である。ベネディクト以前に、人類学の方法として、一社会における長期間のフィールドワークの必要性を説いたマリノフスキーは、ベネディクトと同様に、社会や文化を総合的にとらえる必要性を訴えていた。

 

3.3.2 文化は無意識のプロセス

文化はそれを生きている人には見えにくいものとなっている。というのは、言葉を話したり習慣に従って行動したりするとき、人々は自分の行動を意識せずに行っているのが普通だからである。たとえば、母語をしゃべるとき、文法などは知らなくても話すことができる。いちいち主語は何か、活用はどうなると考えなくても言葉は口を突いて出てくるのであり、独りでにそこに規則性が働いている。すでに習慣となり繰り返されている行動をするとき、やはり意識せずに身体が動いている。玄関では靴を脱ぐのだと考えながら靴を脱いでいるのではなく、玄関に来たら自然に足が動いて脱いでしまい、脱いだかどうかさえ記憶にないくらいである。

文化が無意識のプロセスであるという認識のもと、人類学者が行うフィールドワークでは、異文化の人々の間に入り込んで観察を行う。できるだけ現地の人々と生活を共にし、行事に参加し、同じ食べ物を食べる。この方法を「参与観察」という。現地の人々とさまざまな会話を繰り返し、観察との総合化を図る。その中で観察者がもつ違和感が大切なものとなる。観察者であり異邦人である人類学者は、観察中の文化とは異なる文化体系(自分が所属する文化体系)の中でそれまで生きてきて、そのことを意識せずに暮らしてきた。しかし、新しい文化体系の中で生活してみて、自分が慣れ親しんできた行動様式や価値観と研究対象の文化体系との間のずれを体験し、対象社会の文化の規則性を意識下に置くことができるのである。そしてまた、そのフィールドワークの過程で、それまで自分が意識的に考えることのなかった自分の文化の規則性をも相対化して、同時に意識下において眺めることができるようになる。人類学者はフィールドワークに基づいて、対象社会の文化体系をえがく。このモノグラフを「民族誌」と呼ぶ。

ギアツは、この作業を「文化の翻訳」と読んだ。異なる文化体系はさほど簡単に習得できるものではなく、異なる文化体系間の相互理解はそれほど簡単ではないが、人類学者はそれが不可能だとは考えていない。だから「文化の翻訳」を自分たちの課題だとしているのである。

留学や仕事で海外生活を送る人たちや、国内にいても外国人と人間関係をもつ人たちは、人類学者と似た経験をすることになる。自分が考えていた当たり前のことが通じなかったり、相手の行動に苛立ったりすることがある。知らず知らず、自分の所属する文化の尺度で考えてしまうことを「自文化中心主義」というが、この傾向は全人類がもつ傾向である。人類学者ですら「文化が違うと不快に感じることがある」と知りながらも苛立ちを抑えきれないことが多いから、そのような予備知識のない人たちには強烈なカルチャー・ショックとなりやすい。しかし、そのような経験を冷静に観察してまとめた体験記の中には、自文化中心主義からくる偏見を克服して、学術的水準の分析に達した例すらもある。

 

3.3.3 文化の高低と文化相対主義

もともと文化(culture)には教養という意味が含まれていて、人間の洗練度を測る指標ともなるとされている。その意味での文化は、社会の中でも上層の人々が身につけ、教育を通じて習得するものである。文化程度が低い、文化的素養がない、という言い方をすることがある。

しかし人類学では、文化を生活様式や思考様式、価値観ととらえ、上のような教養という意味とは概念を異にする。多様性はあるものの文化はすべての人間がもつものと考え、それらの間の体系的な相違に目を向ける。未開社会も先進社会も同列に考える文化相対主義の考え方は、アメリカ人類学の父と言われるボアズが唱えたものであるが、とりわけ文化の間に優劣をつけずにそれぞれの文化体系を論じるという人類学の研究理念を主張するものとなった。その背景には、それまで主流であった進化主義的研究-そこでは文化を時系列に配置し、古いものから新しいものへと移り変わる歴史的過程の再構成をもっぱら研究目的とした-に対する批判が込められていた。そして、文化相対主義の下では、非道徳的にみえるモラルもその背景にある文化体系全体の中で理解することが必要だとされた。

この文化相対主義の思想は、自文化の尺度では不快にみえる異文化を可能なかぎり当該文化の尺度に従って理解しようとする試みを支える理念として重要であった。人類学者は、生産技術が未開であっても、ひじょうに豊かな世界観をもつ文化や、複雑な親族体系や経済システムをもつ社会の存在を示してきた。しかし、人類学者が培おうとする寛容の精神を下支えする文化相対主義の理念は、一方であらゆるモラルや価値観を肯定できるのか、人類学者自身のモラルは存在しないのか、という疑問を招く結果ともなっている。

その極端な例として、女性器切除(女子割礼)や未亡人の自殺の習慣がある。また、現存してはいないが、食人や首狩りのような暴力的習慣もそうであろう。とりわけ欧米先進諸国の人権活動家たちによって前二つの行為の非人道性が訴えられると同時に、それらの習慣を現地の文化として問題視してこなかった人類学者が槍玉に挙げられ、ディレンマに立つことになった。文化相対主義だけでは通用しない時代になっている。

もう一つの問題は、現地の人々が自分たちの習慣をそのように非難されるのを快く思わないことである。グローバル化の時代にあって、欧米流の人権思想をグローバルな価値として強要され、それから外れることが批判を受けるとあっては、そこに反発が生じる。現地の知識人たちが「人権」を理解し、それを容認しようとしている場合も少なくないが、継承されてきた文化や価値観はそう簡単には切り捨てられない。

 

3.3.4 民族と国家

集団が何らかの共通性の下に「我々意識」を育むことは、集団の統合を高めるために重要な契機となる。それと解りやすいのが言語である。言語はしばしば文化の広がりをイメージするものとして文化領域地図に用いられる指標となってきた。さまざまな方言を統一して共通語を作るとか、文法の教科書を制定するなどは、均質な文化を生成し、国民としての一体感を生み出す一助となっている。政治統合や経済圏の生成が文化の均質化をもたらすこともあった。言語や文化を共有すると想定される人々の集団が民族(エトノス)であるが、やがてこれが国家を形成する基盤と考えられるようになる。

18・19世紀のヨーロッパでは、歴史を共有する運命共同体としての民族(ネーション)という概念が強調され、民族を基盤として国家を生成する国民国家(ネーション・ステート)の理念の下に国家統一が成し遂げられた。ネーションは共通の祖先をもち、言語や文化を共有する共同体として想起されている。しかし、歴史を共有する単一の民族が一つの国家を形成するというのは幻想にすぎず、国家は先住民や、さまざまな歴史的過程で生じた少数民族(マイノリティ)を含むものなのである。

一方、18・19世紀には、ヨーロッパからアメリカ大陸やオーストラリア大陸などへの移民が行われ、出身地を異にする移民からなる多民族国家が形成された。また、歴史的経緯で植民地とされた地域が独立するときにもしばしば多民族国家になった。それは植民地の境界が宗主国側の都合で決められており、民族の境界とは一致しない場合が多かったからである。民族が分断される場合もあり、複数の民族が一つの領域に入ることもあった。

たとえばアメリカ合衆国の場合、移民たちそれぞれに継承してきた自文化が混じりあって新しい文化が築き上げられるのではないかと考えられた時期がある。そのような混合も一部にはあったが、今日なお、それぞれの移民集団において継承されてきた文化や言語の文脈が生き続けている。このような民族らしさをさして「エスニシティ」と言い、国家内の民族を「エスニック集団」と言う。エスニック集団間のコンフリクトが増してそれが民族紛争につながることもしばしばある。エスニック・コンフリクト

は宗教をはじめとする文化上の理由を摩擦の原因として説明されることが多いが、実際にはそれらの集団間の社会経済的な問題-究極的には権力や富の分配-と大きく絡んでいる。集団の核とされる文化の営みは、そうしたエスニック集団の境界を決める大きな役割を果たしている。

 

3.3.5 グローバリゼーションと文化の客体化

20世紀後半になり、世界は加速度的に狭くなってきた。物、金、人に加えて情報が世界を駆けめぐり、世界の様態は大きく変化している。異なる文化的背景をもつ人々が日常的にさまざまな局面で出会う機会はますます増えている。

そのような出会いのないところでは、生活様式としての文化は無意識のプロセスであり、自然と生活に組み込まれているものであった。しかし、異なるエスニック集団同士が出会い、取引や交渉を行ったり生活を共にしたりする中で、人々は自文化を部外者の目を通して意識的に眺める術をもつようになる。この過程を「文化の客体化」と言う。文化の客体化は古代にも存在したはずだが、グローバリゼーションの過程でそのような契機が急激に増大してきた今日、世界中で顕著な現象となっている。

文化は、人間が生まれ、家族や地域の中で成長するうちに自然と身につけるものであり、民族に本源的に存在するものである、という単純な考えを打破したのはバルトである。彼は民族誌の中で、異なる文化をもつエスニック集団の間で境界を維持するために文化の違いが強調される局面を示した。

グローバリゼーションの中で、文化が集団の境界維持という機能を果たしていることは、これだけ人、物、情報が世界を駆けめぐりつつも、未だに文化の多様性が維持されている理由を説明するものでもある。人々は自分の存在の核として所属する文化を意識するようになっており、文化の営みは自らの母語の保全とともに重要な問題となってきている。多くの多民族国家内では、歴史的経緯の中で異なるエスニック集団が共存を図る必要性を感じて、多文化主義が唱えられるようになった。多文化主義とは、文化の相違を互いに認め合う寛容さを身につけ、互いに共存を図ろうとすることである。

一方、国民国家の理念に則って発展してきた国家の場合も、植民地を領有していた歴史的経緯や近年の移民労働者の受け入れから、国内に異なるエスニック集団を抱えるようになっている場合が多々ある。そのような国家において、どこまで後からきたエスニック集団の個別文化や慣習に寛容となるかは大きな問題となっている。今後の動静を見守りたい。

 

3.3.6 文化と歴史

エスニック集団や民族には境界があり、それぞれに文化があるということを前項までに述べたが、それらの境界や文化は決して不変のものではない。慣習や言語は不変のものとしてしばしばイメージされるが、科学技術などのイノベーションや社会構造の変化、異民族との接触などで変化は実際に生じうる。西欧世界と未開社会/非西欧社会の接触を調べていた人類学者は、多くの未開社会/非西欧社会が西欧世界に取り込まれていくプロセスについて幾多の論文を書いてきた。しかしながら、未開社会の側でも一方的に自らの文化を失い、他者の文化を取り入れなくてはならなかった、というわけではない。失ったものもあるが、変わらなかった部分もあり、受容した文化といえども、一方的に受け入れているわけではなく、現地で好ましい形に読み替えたり、手直ししたりして利用されていることにも近年注目が集まっている。

人類学や民俗学では近年、「伝統」について新しい研究成果が生まれてきている。伝統とは民族などの集団に固有の文化的遺産をさして言うことが多かったが、それらの事象を探っていくと、古くから不変に存在していたわけではなく、歴史のある段階で付け加えられたり、強調されるようになったものであることが多い。比較的最近に付け加えられたものであっても、現地の人々が古来より存在していたと考えて誇りとしていることが特徴である。伝統とは古来より存在していた遺産であるというよりは、集団自身が古来より存在していたと考え、それが故に集団の凝集性に関わる事象であるということができるだろう。これはまた、文化が単に生活様式以上に多様な社会的・政治的側面をもっていることをよく示している。

【コラム2】民族文化の本質エッセンスと雑種性ハイブリディティ

文化の起源をたどるという作業をしてみると、一社会内のすべての生活上の営みが自文化に由来していることなどはほとんどない。文化は伝播するものであり、人類は長らく隣の社会の好ましい営みを採用して自らのものとしてきた。その意味であらゆる民族文化は雑種的ハイブリッドである。にもかかわらず、民族文化には何らかの本質的エッセンシャルなものが存在すると考えられてきたし、それは民族(ネーション)にとっての誇りでもあった。純粋な民族文化という考え方は、19世紀的人種主義ともパラレルに呼応する。異なる「人種」間の結婚は疎まれ、混血はネイティヴよりも劣るといった理論が標榜された。雑種性はそうしたマイナスイメージにつきまとわれてきたのである。しかし近年、ポストコロニアルの思想家たちが活躍するようになり、雑種性はむしろ異なる文化のよいところを兼ね備えた新しい文化の創造であるとして、プラスのイメージで語られるようになってきた。この動きは多文化主義とも大いに関わりをもつ。