3.4 地域研究 -地理学の視点と方法-

3.4.1 地理の再発見

20世紀は、世界各地で大都市が誕生するとともに、それらの大都市を結ぶ高速交通体系が急速に整備された時代であった。「時間-空間の圧縮」と表現されるように、人々の移動距離は飛躍的に増大し、ひじょうに多くの商品が世界中を駆けめぐるようになった。情報通信技術の革新とメディアの発達により、世界各地の出来事が瞬時に伝えられ、むしろ茶の間は「情報の洪水」に曝されているといっても過言ではあるまい。

こうした高速交通体系の発達と高度情報化により、未知なる世界は姿を消し、地域の独自性は失われ、「地理の終焉」がもたらされると言われた時期もあった。しかしながら、グローバル化や情報化が進めば進むほど、むしろ地域・場所・空間の意味があらためて注目され、「地理の再発見」を指摘する人が増えてきている。

国際経済の専門家ポール・クルーグマンは、『脱「国境」の経済学』の中で、ボーダーレス化が進めば進むほど、地理的問題の重要性が増すことを説いている。経営戦略論を専門とするマイケル・ポーターは、「グローバル経済において最も持続性のある競争優位は、ローカルな要因から得られる場合が多い」と述べ、産業の地理的集積である「クラスター」論を展開している。

もちろん、経済や経営の世界のみで、地理的事象が重要なのではない。歴史に規定されない人間社会が存在しないと同様に、地理に規定されない人間社会も存在しない。地理を学び、地理から学ぶ意義は、第1に、人々がよりよく生きていくために、地理的知識が不可欠だからである。最近、大規模地震が発生した際の「帰宅難民」用の地図がよく売れているという。どのような経路をたどって帰宅したらよいか、こうした課題をうまくこなすためには、地図を手にするか、地図を頭に描いて行動することが求められる。優れた「羅針盤」をもつためには、当該地域の地形や土地利用、交通手段、地名などに関する地理的知識が必要となる。

第2に、人間の認識や行動は、地理的環境によって規定される側面が強い。和辻哲郎は、風土を「人間存在の構造契機」と定義した。和辻が試みた風土の類型の解釈については誤りを指摘する批判もあるが、その方法論的欠陥をも含め、地理的環境の多様性についての科学的理解が重要となる。こうした理解は、技術移転にも重要であり、ある技術を導入する際に、地域の特性をふまえた適用が成否を分ける場合がよくある。

第3に、地域の多様性を認め、さまざまな地域の理解を正確にすることは、人類としての共感を養い、ひいては世界を平和に導くことに寄与するだろう。世界各地の情報が入手できるといっても、バイアスがないとは言えない。偏見や差別の感情をもって地域を捉えてしまう危険性がないとは言えない。地域紛争が増える状況下では、地域の科学的理解とともに、倫理的側面にも配慮することが重要になっているのである。

 

3.4.2 近代地理学の伝統

科学としての地理学が成立するのは、18世紀中頃から19世紀にかけてのヨーロッパ、とりわけドイツにおいてであった。こうした近代地理学の成立過程は、おおむね三つの流れに整理することができよう。

第1の流れは、近代地理学の開祖とされるドイツの地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルトやカール・リッターによるもので、地表面における多様な現象を、相互の結びつきに着目しつつ、広域的な視野に基づく観察を通して全体像を明らかにしようとする姿勢が打ち出された。

第2の流れは、同じくドイツの地理学者アルフレッド・ヘットナーによるもので、地域の科学的な記述である地誌学を重視するものであった。彼は、地表の異なった場所における自然と文化の異なった姿について地誌学的な見地から考察することが地理学の本質であると主張した。

第3の流れは、自然と人間との関係を主要なテーマとするもので、ダーウィンの進化論の影響を受けたドイツの地理学者フリードリッヒ・ラッツェルは、地理的環境の下で人間社会を捉え、地域有機体説を主張した。これに対し、フランスの地理学者ヴィダル・ドゥ・ブラーシュは、人間の生活を中心に置き、それをとりまく自然環境との総合的な関連を地理学の課題とし、生活様式の概念を提出した。

このように、重視するものを異にしながらも、全体として近代地理学は、自然地理学と人文地理学、自然科学と人文・社会科学との融合を、学問上の特徴としていたのである。自然と人文の諸現象が相互に関連しあって成り立っている地域の構造を総合的に解明すること、これが地理学研究の目標だとする考えは、近代地理学の伝統として、現代の地理学にもさまざまな形で継承されている。

なお、こうした流れとは別に、ドイツの地理学者オットー・シュリューターによる景観論的アプローチ、ヨハン・ハインリッヒ・フォン・チューネンやアルフレッド・ウェーバー、ワルター・クリスタラーらによる立地論的アプローチなどもある。シュリューターは、集落や農地、交通路など、地表に刻みこまれた人間活動の足跡、文化景観を研究対象として取り上げ、環境論や生態学的地理学とは異なる人文地理学の方向性を導いた。また立地論者は、空間における産業や企業の立地を取り上げ、法則を志向する経済地理学に基礎理論を提供することになる。

 

3.4.3 地域・場所・空間概念の展開

地誌を中心とした記述的な地理学研究においては、多くの場合、地域(region)がもっぱら取り上げられてきた。地域概念は、地理学の長い議論の中で、中心的テーマであったと言ってもよい。地域は、空間概念よりも個別・具体的であり、地球表面の一定範囲をさし、それらが切り取られる根拠としては、河川や山地などの自然的条件、民族や文化などの社会的・文化的条件、政治や行政などの政治的条件、歴史的条件などが挙げられてきた。

パーシ(1991)は、地域の形成過程を、①テリトリーが形成される段階、②地域名のような観念的シンボルがつくられ、住民の地域意識が鮮明になる段階、③地域制度が機能し、分業にもとづく地域の実質的成長がみられる段階、④制度が持続され、地域意識が再生産される段階、⑤地域的アイデンティティが形成される段階、の5段階に区分している。

このように、地理学の世界で地域が最も重要な基礎概念として長い間議論されてきたのに対し、近年欧米の地理学の世界では、場所(place)をめぐる議論が活発になされている。地域と同様に場所概念も具体的であるが、多くの場合、地表面上の比較的狭い範囲をさし、しかも地域概念がより集団的で民族性や歴史性をもつのに対し、場所は意識的に個人の意味づけがなされたものと捉えることができる。したがって、「場所のポリティクス」として、場所をめぐる主体間の対抗関係が題材にされることも多い。

地域、場所が具体的な概念であるのに対して、地理学では空間(space)と言う場合には、より抽象的な捉え方をすることが多い。空間は、相対空間と絶対空間の二つに分けることができる。相対空間とは、位置や距離で把握されるもので、立地論では距離にもとづく輸送費の変化、位置による労働費の差異が、産業や企業の立地を規定するものとして重視されてきた。これに対し、絶対空間とは、企業や人々により占拠される空間的広がり、あるいはまた企業や人々が活動する「容器」を意味し、立地論では産業や都市の集積として取り上げられてきた。このように、空間概念は主として立地論や空間経済学といった抽象的な理論において取り上げられることが多かった。

しかしながら、地理学の「空間論的転回」の下で、最近では空間概念の見直しがなされている。一つは、空間概念を用いて都市論を展開したアンリ・ルフェーブルを再評価するものである。彼は、著書『空間の生産』において、①空間的実践(職場や家庭など、生産と再生産に関わる、知覚される空間)、②空間の表象(科学者や都市計画家らによって思考される空間)、③表象の空間(芸術家、作家、哲学者によって生きられる空間)という三項化・三元弁証法によって空間を捉えている。

こうしたルフェーブルの空間論を地理学に導入したエド・ソジャは、著書『第三空間』において、空間分析やGIS(地理情報システム)などを通じて行動空間や建造環境として把握される「第一空間」、メンタル・マップなどの形成を通じて思考あるいは想像の地理を経験的世界に投影することから構成される「第二空間」、そしてこれら伝統的な空間的ディシプリンの内側では思いもよらない、新しい可能性をもった空間的知へのアプローチ、空間性-歴史性-社会性の存在論的な三元弁証法への挑発的な回帰として、「第三空間」を位置づけている。

 

3.4.4 地域研究の方法

科学としての地理学の性格および研究方法をめぐっては、個性記述の学とみるか、法則定立の学とみるか、両者の対立が議論の中心をなしてきた。とくに、従来の記述的な地域地理学を「例外主義」として批判したシェーファーの論文を嚆矢として、1950年代後半以降アメリカでは、計量的手法を用いて空間的パターンの法則的解明をめざす理論志向が強まった。こうした「計量革命」の動きは、イギリスにも伝播し、一世を風靡したが、1970・1980年代になると、現象学の影響を受けた「人文主義地理学」やマルクス主義の影響を受けた「ラディカル地理学」が影響力を強めることになった。一般的なモデル構築をめざす流れは、人間の知覚、能力、経験や価値に力点を置く前者の立場、貧困や失業、格差や差別などの問題解決を重視する後者の立場の双方から批判を受けて過去のものとなったが、個性記述と理論構築をめぐる方法論的検討は依然として重要な課題として残されている。

地理学はまた、政策科学としての性格をもっている。資源や土地利用の研究、産業立地や地域経済の研究は、国土開発や地域開発を進める上で有効な方策の提供に役立ってきた。スウェーデンの地理学者トルステン・ヘーゲルストランドによって提唱された「時間地理学」の考え方も、都市計画や地域政策の現場で重要な役割を果たしている。ヘーゲルストランドは、1969年に「地域科学における人間」と題した講演を行い、ともすれば統計や確率論の中に埋没されそうになる人間像をいま一度取り戻そうと考え、時間地理学の研究を提唱した。これは、都市社会における「生活の質」や「暮らしやすさ」といった現代的課題を取り上げ、時間と空間の広がりの中での人間の活動に着目するアプローチであり、都市計画や地域政策などのプランニングを意識した実証分析手法の開発と実際の政策展開が積極的になされた。

ところで、発達のめざましいGIS(地理情報システム)は、地域研究の方法を刷新する上で、また政策科学としての地理学を強化する上で、重要な役割を果たしてきた。GISとは、各種の地理的データを取得し、管理し、統合し、操作し、分析し、表示する総合コンピュータ・システムをさす。地表、地上、地下の位置や範囲を示すデータと、自然、社会、経済、文化などの属性データが対になったものが地理的データであり、

これをもとにGISソフトウェアを活用してデータを分析したり、ディジタル地図を作成し、空間計画や政策支援、教育などに役立てていくことが作業課題となる。少子・高齢化社会における子育て支援、医療・福祉施設などの立地配分モデル、災害に対するハザード・マップの作成、過疎地域における合理的な国土保全計画など、GISの利用が期待される領域は広がっている。

 

3.4.5 グローバル・ローカル関係と地理学の課題

地理的思考の大きな特徴は、地域や空間を広がりのあるものとして捉えるということにある。これはグローバル化が進んだ現在でも変わらない。したがって、地理学では、国民経済や国民国家を「点」として捉えるのではなく「面」として捉え、しかも中心-周辺のように格差をもった地域間のシステムとして、国民経済や国民国家を捉える傾向が強かった。

広がりに注目するということは、空間的スケールにこだわるということでもあり、地理学では、単一の空間的スケールではなく、スケールの異なる地域の重層的な関係に着目する点が特徴的である。すなわち、人々の生活圏は、通勤流動を中心に比較的狭い範囲で捉えられるが、財やサービスの流動をみると、より広域的であり、地方ブロック・スケールで議論されることが多くなっている。通貨圏のような範囲となると、国民経済が依然として重要な圏域となる。ただし、企業の生産活動や商品流通は国境を越えて広がっており、アジア、ヨーロッパ、北アメリカといった広域経済圏、さらには世界経済全体といったスケールで捉えることが必要になっている。一方、人口減少社会の下、市町村のような基礎自治体の機能が低下する中で、生活圏よりも狭い圏域であるコミュニティを重視し、そこでの自助・共助を重視する傾向も出てきた。

このように、人・物・金・情報の地理的流動に着目すると、グローバリゼーションとともに、ローカリゼーションが同時に進行していることがわかる。アメリカの地理学者マイケル・ストーパーは、グローバリゼーションが進めば進むほど、ある特定の場所や地域でしか生産されない、その意味で領域性の高い生産システムの希少価値が注目されると述べている。近年、欧米でも日本でも、地域間の格差とともに、地域の自立や競争力が重要な検討課題になっている。グローバル-ローカル関係の動態を解き明かし、そのような課題に対処するためには、地域の経済にとどまらず、地域の自然、社会、文化、制度などの地理的環境と人間との関係の総合的な分析と政策提言が求められているのである。