3.5 歴史から学ぶ -歴史科学の視点-

3.5.1 歴史を学ぶ意味

人間はすべて歴史的存在であるといってよい。個々の人間も、家族をはじめとする複数の人間から成るさまざまな集団も、それぞれの歴史を背負って存在している。個々の人間や人間集団が、なにごとかについてある認識を抱き、それにもとづいて決断をしたり行動を起こしたりするとき、意識するにせよ意識しないにせよ、それぞれが抱えている歴史的背景が、認識や行動を深いところで規定する役割を演じている。もちろん、人間の認識や行動は歴史的な規定性によって完全に左右されるわけでなく、最も重要なのは個々人や人間集団の主体性であるが、歴史的な背景をまったく離れたところでの人間の主体性というものは考え難い。個々の人間が背負っている個人史・自分史、地域がもっている地域史、民族集団が抱えている民族史、国家に関わる国家史・国民史など、歴史にはいろいろな広がりがあり、人間生活の局面の違いや当面する問題の違いによって、規定性を発揮する歴史の様相は異なってくるが、歴史に規定されない人間社会は存在しないのである。

歴史を学び、歴史から学ぶということが人間にとって大切であるのは、まさにそのためである。人間は、現在を精一杯生き、よりよい未来を作ろうとする。現在をみすえ、未来を展望していくためには、過去についての洞察を行っていかなければならないが、ただやみくもに過去の記憶をたぐるだけでは、現在についての認識を豊かにし未来への可能性を開いていくことは難しい。過去をみる際の道具立てをどのように整えていくかということが、重要なのである。現在を生きる上で人間は過去の歴史についての意識(歴史意識)に影響されるが、その意識はさらに整理された形(歴史認識)に高められることで、より大きな力を発揮する。そして、歴史認識を鍛えていく上で、歴史についての学問的研鑽、歴史学が必要となってくる。

人間が生きていくうえで歴史意識や歴史認識がもつ力は、世界のどの地域においても古代から知られており、種々の歴史叙述が行われてきた。たとえば、古代ギリシャで、アテネとスパルタの間のペロポネス戦争の歴史を描いたトゥキュディデスや、古代中国の漢代に中国最初の通史ともいえる『史記』を著した司馬遷、時代は下るが14世紀に『世界史序説』を書いたアラブの歴史家イブン・ハルドゥーンなどはきわめてよく知られた歴史家である。しかし、歴史が学問として語られるようになり、歴史と科学の関係が問題となる前提ができあがってきたのは、18世紀から19世紀のヨーロッパにおいてであった。とりわけ19世紀のドイツで、レオポルト・フォン・ランケが、厳密な史料批判にもとづく歴史研究を提唱したことの意味は大きかった。それ以降の、歴史と科学の関係をめぐる議論は次項で概観することにしたい。

人間にとって歴史がもつ意味は、歴史教育の重要性につながってくる。とりわけ、いま述べたように学問としての歴史学が確立してきた19世紀以降は、ヨーロッパを中心に国民国家が成立し、その体制が世界に拡がっていく時代と重なっており、それぞれの国民国家の成り立ちを歴史的に説明するとともに自国の独自性を強調する国民史・自国史についての教育が、どの国においても重視されてきた。国民国家というまとまりが国際社会を構成する基本的な単位となっている状況は、近年変化をしてきており、それは後述するように歴史の見方にも修正を迫っているが、国民史・自国史をめぐる歴史教育が社会的に重きを置かれている状態に変わりはない。歴史教育に使われる教科書の内容が、大きな社会的問題になることがしばしばあるのは、そのためである。

 

3.5.2 歴史的思考と科学的方法

19世紀以降、学問としての歴史学が展開してくる過程で、歴史的な認識の在り方と科学との間にいかなる関係があるかという問題は、つねに議論の的となってきた。上述したランケはまた歴史主義という立場の代表者とも目されているが、歴史認識の対象となる事象は、それぞれが完全に個性的・個別的なものであって、自然科学におけるような法則性とはなじまないものであるとするこの歴史主義は、歴史学における一つの大きな潮流となった。これに対し、歴史にも自然科学に似た法則性を見出すことができるとして、歴史の科学性を強調する立場も存在した。

たとえば、20世紀の初め、ドイツを代表する古代史研究者であったエドワルト・マイヤーは、「歴史は何ら体系的な科学ではない。歴史の課題は、かつて現実の世界に起ったもろもろの出来事を探究することであり記述的に物語ることである。」という一文で始まる「歴史の理論と方法」という論文を発表したが、これに対してマックス・ヴェーバーは、歴史上の出来事の多様性を前提としながらも、因果的連関を重視する科学的見方の重要性を強調した。

またランケより20歳ほど年下のカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって打ち立てられたマルクス主義歴史学も、歴史発展の法則性を重視する姿勢を示し、歴史の科学性を主張した。人類の歴史がいくつかの発展段階を経てきているという見方は、歴史家の間で幅広く共有されていたが、マルクス主義歴史学の場合はとくに、生産力の発展と、人々が生産活動を行う上で取り結ぶ社会的関係(生産関係)の間に生ずる矛盾が、階級間の闘争を生み、それが次の歴史段階への移行を実現させていくとする考え方(史的唯物論)を強調し、発展段階論における法則性・科学性を強く唱えたのである。

日本においては、長い間こうしたマルクス主義歴史学の影響がきわめて強かった。とりわけ、第二次世界大戦の直後においては、日本を戦争へと駆り立てたのは戦前の日本社会の前近代的な性格であったとして、近代化の必要が声高に叫ばれる中で、近代化への見取り図を描くためにマルクス主義の考え方に添う「世界史の基本法則」を学ぶことが必須であると広く考えられたのである。

20世紀の歴史学で一つの大きな流れを作ったフランスの「アナール(年報)学派」もまた、科学的方法を強く意識していた。「アナール学派」という名称は、マルク・ブロックとリュシアン・フェーブルという二人の歴史家が中心になって1920年代に創刊した雑誌『経済・社会史年報』のタイトルに由来するが、そこに集った歴史家たちは、それまでの歴史研究、とりわけ歴史主義の中心的位置を占めていた政治的事件史では歴史の真の動きをとらえることはできないとして、地理学や社会学、経済学などさまざまな社会科学の方法を取り入れつつ、長期にわたる構造の変化の分析を歴史研究の基軸に据えようとした。たとえば、「アナール学派」が生んだ歴史作品の代表的なものと目されているフェルナン・ブローデルの『地中海』は、自然環境、社会、政治という三つの層から地中海世界の歴史を巨視的に捉えようとした研究である。

一方、歴史学と科学的手段との関係という点では、数量分析を経済史研究に本格的にとりいれた数量経済史(cliometrics)が20世紀中葉にアメリカを中心に展開を始めたことに触れておく必要があろう。その研究潮流の創始者の一人であったロバート・フォーゲルは、数量分析の結果、南北戦争前のアメリカの奴隷制についてのそれまでのイメージが間違っており、奴隷は必ずしもひどい状態に置かれていたわけではないし、奴隷制は合理的な生産システムであった、と主張して波紋を呼んだ。

その後、コンピュータの発達によって、歴史研究における数量的処理の技法が発展してきている。また史料の電子的データベース化も進み、歴史を学ぶ上での科学的手段応用の重要性はますます強まってきた。

一方、1970年代頃から、自然科学や社会科学と対比するかたちで歴史学の独自性をあらためて強調しようとする動きも生じてきた。歴史叙述、歴史の語り(ナラティヴ)に重点を置く議論が広がってきたのである。フランス語で歴史と物語がイストワール(histoire)という同じ言葉で表現されるように、歴史は語り方、語り口と切り離せない性格をもっているし、幅広い人々が歴史学の成果に接していく上では、読者の心に食い込んでいくすぐれた叙述・語りが欠かせない。歴史学への科学的手法の取り込みが広がってくる中で、この点が再確認されたのである。

ただし、ここで注意すべきは、歴史学における語りを重視する立場が、ソシュール言語学などの影響を受けた「言語論的転回」という動きと軌を一にする局面ももっていたことであろう。人間の世界を、何よりもまず記号の世界、意味の世界とみるこの立場からすれば、歴史において問題となるのは、これまでの歴史学が追究してきたような、過去に何が存在したか、何が起ったかという事実ではなく、存在すると思うものを歴史家が描いた表象、語りであるということになる。もとより、こうした立場であっても、歴史家が過去の対象を離れて歴史叙述を自由に創造しうるとしているわけではないが、伝統的な歴史学の中核にあった歴史的事実の追究という姿勢が後景に退くことになったのは、確かである。歴史的事実の確定よりも、歴史的事実と考えられるものを人々がいかに記憶してきたか、またその記憶がいかに表象されてきたかといった点の検討がもてはやされるようになってきたのも、このような流れの反映であった。

 

3.5.3 21世紀の世界とグローバル・ヒストリー

問題は、こういった最近の傾向が、歴史をみる見方は人それぞれであるという歴史認識における相対性を強調する立場につながりやすいことであるが、21世紀初頭の現在、そうした相対主義を克服する意図もこめつつ、人類の歴史というものに新たに取り組んでいこうとする歴史学の営みも進行している。地球大のグローバルな視点を重視する「グローバル・ヒストリー」と呼ばれる研究潮流である。この動きは、科学的なものの見方や方法にも強く支えられているため、ここで簡単に紹介しておこう。

先に述べたように、学問としての歴史学の発展は、19世紀以降の国民国家体制の展開を背景とする国民史・自国史の追究と密接に結びついていた。この国民国家体制が20世紀の後半以降、大きく揺らぎ始めたことが、グローバル・ヒストリー台頭の背景となっている。国民国家体制は、一つには、ヨーロッパ統合の進展にみられるように国民国家を超える大きな統合体が力をもってくることによって外側から問われるとともに、既存の国民国家の内部に存在していた地域的多様性やエスニックな多様性が浮上してくることによって内側からも崩され始めた。さらに、人、物、金、情報が国境線を越えて自由に行きかうグローバル化の進行が、国民国家の意味を低下させてきている。この変化は、人間の知的活動にもさまざまな影響を及ぼしているが、歴史をみる眼に関しても、一国を単位とする国民史・自国史への批判を新たに促した。そこで唱えられはじめたのがグローバル・ヒストリーである。

言うまでもなく、自国史・国民史を中心とする歴史研究という枠を取り払おうとする試みは、これまでにもいろいろな形で存在してきた。日本においても、上原専禄の仕事に典型的に示されているような世界史の研究・教育の中で、自国史・国民史の克服の試みが活発になされてきたことを忘れてはならない。グローバル・ヒストリーはそうした従来の歴史学の営為を引き継ぎながら、グローバル化が進む中で、あらためて広く人類の歴史をたどり、そこから現在の人間の姿を考える歴史研究として、展開してきているのである。

科学的見方との関連という点からグローバル・ヒストリーについて強調すべき点は、地球環境と人間との関わりという問題がきわめて重要な要素として議論されていることであろう。先に指摘したように、アナール派の研究などにもその点ははっきりとみられていたが、さらに進んで、地球科学、環境科学、人類学、農学、都市工学など、さまざまな科学の領域が、グローバル・ヒストリー研究の必須の要素となっているのである。グローバルな規模で人類の歴史をたどろうとする視点はまた、DNA解析を中心とする進化生物学の方法によっても支えられている。そうした方法を用いることによって人類がアフリカを源として世界の各地に広がっていったと論じられるようにもなっているが、これなどは歴史学と自然科学の垣根が取り払われた局面を最も典型的に表している。

このようにグローバル・ヒストリーという流れに注目するだけでも、歴史を学び、歴史から学んでいくに際しての、科学的な見方や方法の活用の仕方が現在大きな変化を迎えていることがよくわかる。科学の力を十分に生かしつつ、歴史的なものの見方を鍛えていくことは、21世紀の世界に住む私たちにとってますます必要になっているということができるであろう。